中吊り広告は白抜き文字

どうやら、私にとって、電車に乗ることと本を眺めることは切っても切れない縁があるみたいです。電車に乗って開く本がなくても、中吊り広告という魅力的なものがあるのです。中でも、社会派的な週刊誌の中吊り広告は、見ているだけです。実際の雑誌は一度も買ったことがありませんが、毎回眺めているだけでとっても楽しいのです。
女性誌と違って、色使いはシンプルです。青と、赤と、白です。青い背景に白抜き文字がシンプルで目を引きます。白地に青い文字で小さく項目が書かれている部分は、つい目を凝らして全部読んでしまいます。項目を読んで、詳しい記事を読もうとまでは思わないのです。今、こういうことが起こっている、こういう話題があるということを知ればなんだかそれで満足なんです。
1枚のその紙の中に、たくさんの情報があり、たくさんの文字が書かれているんですね。中吊り広告の1枚の中には、たくさんの情報が詰まっています。メインとなる目を引く大きな文字の記事も、近寄ってみなければわからない小さな記事も、一通り読んでいきます。
読んでいるうちに、私の降りる駅に着いたようです。次に乗るときには、また違う雑誌の中吊り広告に出会えるでしょう。駅前の本屋さんに寄ってから、帰ります。

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月刊誌の女性誌を買う時

ファッションに興味はあるけれど、センスがあるわけでもないし、かといって毎月女性ファッション誌を買うほど熱心でもないし、でもちょっとちゃんと読みたいなあなんて思います。買うには、なんというかもうひとつきっちりした理由付けが必要なんですね。
あ、と思い出したのは、今月は、ある雑誌に、友人が載っているのです。読者体験モデルで、メイクしてもらったといっていたのを思い出しました。その女性誌は、ファッションだけでなくいろいろな情報も載っているので、立ち読みすることが多いです。今月は、思い切って買っちゃいました。
友人が何ページに載っているのかはわからないので、はじめから眺めていきます。じっくり読めるので1ページごとにかみしめながら見ていきます。
女性誌って、こんなに色が鮮やかだったかしら、とか、この新商品色違いはあるのかしら、とか、掲載されている情報からいろんなことを想像しています。自分だけのストーリーを紡ぐように、それぞれのページから商品の情報以上の何かを読み取っているのですね。と、めくったら友人がでてました。たくさんの体験者のうちの一人なので、顔写真は小さいですけれど、いました。実物よりもきれいな顔をしています。肌が白くなっています。

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作家と編集者の不思議な関係

仕事上の関係というのはあります。男性と女性であっても、仕事の同僚や同期入社だからといって、全員が恋愛関係にあることはないのです。ただ、芸能人とマネージャーといった仕事上の関係と言えども、プライベートの相談をしたりプライベートに少し携わったり、という関係はあります。
タレントとマネージャーのように、作家と編集者も不思議な関係と言えるのではないでしょうか。作家は、面白い文章を書くのが仕事です。物語でもあるし、日常の何気ない風景を文章にするという場合もあります。創作日記を書くこともあります。そして、編集者は、作家に文章を書かせるための環境作りも仕事です。バックアップしつつもコントロールしていかなくてはいけません。そのために、時にはプライベートな相談にのることもあるでしょう。家族同士で会食したりというお付き合いもあるかもしれません。逆に、個人的な事情には全く関知しないでストーリー作りにだけは話をするという人もいるでしょう。それでも、良い環境作りをしていることは同じです。
出版社の担当者は、一番始めに書きあがった文章を読むことができます。それは、一緒にモノツクリをしている人の特権です。持ちつ持たれつの間柄なんですね。小説家には秘書をつけてる人もいます。スケジュール管理や仕事を受けるかどうか、また違った間柄です。

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この作者にはこの音楽

本好きとしては、読書のスタイルにもこだわっているつもりです。どういう環境で読むかで、お話の印象も自分の盛り上がり方も違ってきます。そのひとつに、読書タイムに流す音楽にもこだわりがあります。恋愛小説を読むなら最新ヒットのラブソングか、有名な映画のクライマックスシーンの曲をかけます。ミステリーなら、2時間ドラマのテーマソングをヘビーローテーションで聴きながら、がいいですね。時代小説を読むなら、勧善懲悪とわかるものでスッキリしたいです。
つまり、自分の中で想像しながら小説を楽しむ要素の一つに、音楽という盛り上がるものをプラスしたいのです。すごく贅沢な自分だけの心の中での映画を観ているような気持になれるように、です。それは、同じ趣味を持つ友人ともオフ会仲間とも、分かち合いたいと思うところとは別のものです。一人で大切にしておきたい小さな部屋のひとつです。
ただ、いつまでもずっと同じスタイルではなくて、生活を揺るがすほど衝撃的な音楽に出会ってしまったら、ローテーションは変わります。また、たまたま手にした新人作家の文章惚れこんでしまったら、そこにあうBGMを探すでしょう。こだわりは、どこまでも続くものです。

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本屋さんの椅子

最近は、大きな本屋さんというと、椅子が置いてあります。図書館の自習室とはまた違っています。本を買うのに吟味するためのスペースです。欲しい本の中身を確かめる、というのが椅子を設置する目的と思っています。
ただ、その椅子が実はなかなか空きません。8フロアもある大型書店では、各フロアにいくつか椅子が置いてあるのですが、私の見た限り椅子はいつも誰かが座っています。中には、うとうとしている人もいます。
だから、私は書店では座ったことがありません。たまに、ちょっと座りたいなあとは思います。
そういえば、図書館の椅子も同じ人が何時間も独占していることがあります。疲れたから眠るのではなくて、もともと寝るための場所を確保する、という意味合いで来る人もいます。
さすがにそこで何かを飲んだり食べたりしている人はいません。本屋さんでも、図書館でも、です。
本当に読みたい本と出逢うには、自分の足で探すしかありません。座るよりも歩いていくしかないんです。文庫のコーナーひとつにしても、棚はいくつもあります。出版社ごとに分けられた棚の海の中をじっくり眺めながら行くことで、出会いがあります。待ってるだけではなく、こちらからどんどん動いて捕まえに行かなければならないんですよね。

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本棚と本棚のタイミング

本屋さんに行った時の話です。その新刊書店は、棚と棚の間の通路が比較的狭く、人が1人通るのが精一杯でした。もし、ちょっと太めの人が立ち止まって読んでいたら、後ろは通れないかもしれません。それでも、本の数はとても多いので、いろいろ見ることができて楽しいのです。
自分の見たいジャンルの棚に行くと、すでに先客がいました。植物図鑑が並んでいる場所です。通路の真ん中あたりに立っていたので、その手前まで行って眺めていました。あとから、その人が移動してからまた身に来ればいいや、と思って別の通路に行きました。次に向かったのは、手芸のコーナーと創作折り紙の棚でした。折り紙の月刊誌があるかどうか見たかったのです。ここにも手前の方に人がいたのでやめました。3度目の正直、で花や蝶のデザインパターンのところに行くと、やっぱり人がいて通るのは難しそうでした。
タイミングが悪いとしかいいようがないです。けれど、ふと思いついて植物図鑑のところに行くと、さっきの先客はもういませんでした。写真よりもキレイなイラストが載っているものを探して、端から見ていきました。その後、見たかったジャンルの本を探すことができました。結局5冊も買って帰りました。

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リビングで本を読む

さて今日は1日ゆっくり時間があるわ、という日にやりたいことは、溜まっていた未読の本を整理することです。つまり、片っ端から本を読んでいくことです。そんな時には、一体どこで本を読んだらいいか、これって意外に1日を左右するポイントになります。
電車で揺られながらも好きだし、天気の良い日なら公園のベンチで、というもの好きです。一番好きなのは、自分の家のリビングで、お茶を用意しておいて、ゆっくりと物語の世界に浸るというものです。リビングは、たとえ4畳半であったとしても、自分の中では20畳くらいの広さでのんびりしているということを想定しています。広い場所で優雅に読書です。
ぬくぬくと日が当たり、ロッキングチェアに座り、脇には猫が昼寝をしているようなところです。一気に本を最後まで読んでしまうのもいいし、時々物語の人物や出来事を整理するために、目を閉じてうとうとしてみるのもいいものです。お腹が空いたら、休憩時間です。キッチンでフレンチトーストかサンドイッチでも簡単に作ってきます。リビングに持ってきて食べるのです。
誰が訪ねてくるわけでもなく、電話が来るわけでもありません。メールやLINEはあとでまとめてチェックすることにして、今はただ日常と非日常の境界線の上にいることを満喫しています。

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青春小説のすすめ

初恋はカルピスの味、などとよく言われます。なんでカルピスなのかといえば、甘酸っぱい思い出というイメージがなせる業でしょうか。
オススメの本はなんですか、と聞かれて、本当は青春小説を挙げたいのだけれど、つい変な見栄を張って直木賞作品はいいよね、なんて答えてしまう自分がいます。青春小説を下に見るわけではありません。青春という年代を過ぎてもまだ高校生が主人公の物語を読んでいるなんて、照れ臭くて堂々と言えません。そうでなくても、あの時代は、親にも友達にも言えない悩みを自分一人で抱え込んでいることがありました。30代になってみれば、どうということもない悩みですが、当時はこの世の終わりくらいに思っていました。
その頃の気持ちを忘れたくなくて、あるいは時々思い出したくて、読みたくなるのです。高校生の小説を書いているのが高校生とは限りません。作者のプロフィールを見ると、自分と同じくらいの年代の方だったりします。作者も、自分の10代の頃を思い出して書くのでしょうか。あの説明しがたい思いを、悩みを、片恋を、出席日数の少ないクラスメートを、先生を、思い出しながら書くのでしょうか。そんなことを思いながら、高校の卒業アルバムを眺めてみる午後です。

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私小説といわれるもの

とっても文学的な響きがすると思います。私小説という分野です。作者の人生で起こったことをそのまま物語にしているものです。つまり、作者の人生の出来事、人生の歩み、出来事、家族とのことなどなどを作者と一緒に見聞きしているようなものです。作者と主観をだぶらせているようなものです。
作者が喜べば、読者もうれしい、泣けば悲しい、笑えば楽しい、というように感情も共有しやすくなります。とはいえ、物語ですから、ブログを読んでいるのとはやっぱり違います。ブログよりも構成はしっかりあるし、文章も描写は練られたものです。
特に、自分がいくつもの小説を読んでいる作家の私小説は、なんだかうれしいなあと思って読んでしまいます。どんなに人間関係が複雑でどろどろであっても、どんなに報われなくて一方通行の想いが綴られていたとしても、とってもいとおしい物語だと思って読んでいるのです。つまりは、作家のプライベートが見えたような気がして、身近に感じているのです。
小説といえども、本当にすべて事実なのか、それは書いた人間にしかわかりません。読んでいる方としては、どちらでもいいものです。物語を楽しく読むことさえできるなら、それでいいのです。

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本屋大賞受賞作品をチェック

文学賞というと、たくさん思いつきます。私としては、毎年4月に決まる本屋大賞に注目しています。なぜなら、本屋さんが一番売りたい本ということで全国の書店員さんが選んでいるからです。最終候補作10作で人気投票をして、1位になった作品が受賞作という訳ですね。
10作の候補作が決まると、店頭にずらっと並びます。知ってる作家さんや読んだことのある本があると、がんばって欲しいなあと思ってしまいます。知らない作家さんがあると、それはそれで興味が惹かれます。読んでみようかと手に取るときもあります。それで、お気に入りの作家さんがまた増えることになるのでしょう。
たくさんの書籍が並んでいるのを見ていると、自分が本当に好きなのはなんなんだろうと迷ってしまう時があります。迷った先に、あ、これが自分の読みたい一冊だったんだという出会いがあります。ひとつのキッカケとして、本屋大賞候補作や受賞作をチェックすると、面白いです。
それとは別に、いいなと思っていた作品に決まると、なんだか自分のことみたいにちょっとうれしく思ってしまいます。作家さんのお友達とか、出版社に知り合いがいるわけではありません。けれど、身近に感じてしまう世界です。

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